プロフィール

猫ホメオパス湘南
homeopath profile

ホメオパスプロフィール

2025年11月29日撮影

ハンドル名; 猫ホメオパス湘南

岡部豊美

Toyomi Okabe

獅子座 亥 A型

英国ホメオパシー医学協会HMA認定ホメオパスNO.1150

趣味; ガーデニング

ヒストリー

2004年5月〜 英国ホメオパシー医学協会 HMA 認定ホメオパス NO.1150

  • 2004年3月 ロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシー(現カレッジ・オブ・ホリスティック・ホメオパシー) RAH 5期生卒業
  • 2004年5月 英国ホメオパシー医学協会 HMA ホメオパス認定試験合格

2004年6月〜 猫と飼い主のためのホメオパシー湘南(旧東京代官山)を主宰

  • 2004年6月~2018年10月 猫と飼い主のためのホメオパシー東京代官山を主宰
  • 2004年6月〜2018年10月 日本ホメオパシーセンター渋谷代官山のセンター長
  • 2018年11月〜 東京代官山より湘南辻堂へ移住し、猫と飼い主のためのホメオパシー湘南を主宰

2006年春~ インドのホメオパス ラジャン・サンカラン氏に師事

  • 2006年5月 サンカラン氏のビデオセミナー 横浜5日間履修。
  • 2007年5月 サンカラン氏のスカイプセミナー 東京5日間履修。
  • 2007年7月 スペロ氏のライブセミナー 大阪2日間履修。
  • 2007年8月 ディーネッシュ・チャウハン氏のライブセミナー 大阪6日間履修。
  • 2008年1月 サンカラン氏のスカイプセミナー 東京3日間履修。
  • 2008年5月〜7月 シャチンドラ&バビーシャ夫妻のスカイプセミナー 横浜3日間履修。
  • 2008年8月 ジョナサン・ショア氏のライブセミナー 横浜3日間履修。
  • 2009年5月 サンカラン氏のビデオセミナー 横浜5日間履修。
  • 2009年8月 シャチンドラ&バビーシャ夫妻のライブセミナー 東京3日間履修。
  • 2009年10月 サンカラン氏のライブセミナー 横浜2日間 東京3日間 合計5日間履修。
  • 2010年3月〜2011年8月 サンカラン氏の水曜日オンラインセミナー50回を修了。
  • 2012年11月 サンカラン氏のライブセミナー 東京2日間履修

1959年夏〜 愛猫家

  • ずっと愛猫家。前世は猫だったと妄想している。自称、猫の化身。生まれた時から断続的に猫と暮らす。
  • 1980年春、20才時、東京の駒沢公園で子猫を保護。東京都品川区での実家暮らしではあったが、自分の経済で初めて猫飼い主となる。
  • 1988年秋、東京都渋谷区代官山町の自宅の裏で、箱入りの捨て猫を保護。生後1週間ほどの、へその緒のついた赤ちゃん猫との暮らしが開始。2001年1月、大病にて旅立つ。
  • 2001年3月、代官山の自宅に、自ら入って来て暮らし始めた母猫が、4匹の子猫を出産。5匹親子猫と暮らしが開始。まかない係をおおせつかい、せっせと生肉と格闘。以来、手作り生肉キャットフード愛好家になる。
  • 2018年11月、猫達を猫タクシーに乗せて、代官山猫屋敷から湘南猫屋敷へ移住。
  • 2021年7月、寿命を全うした5匹親子猫の遺骨を粉骨にし、沖縄の宮古島の海で散骨。大神島が見守る、池間島のマサカダツ浜にて。
  • 2022年4月、保護猫の親子3匹猫が、茨城県の鹿島神宮あたりから湘南猫屋敷に届けられた。せっせと生肉キャットフード作りを再開。
  • 2026年2月現在、猫飼い主歴45年以上、手作り生肉キャットフード愛好家歴25年以上、猫ホメオパス歴21年以上。

1985年12月〜 フランス料理研究家

  • 1984年春 渡仏。料理留学。
  • 1985年9月 フランス、パリ7区、コルドン・ブルーのグラン・ディプロムを取得。
  • 1985年12月~2018年10月 東京代官山にて、フランス料理教室デリース・ドゥ・トトを主宰

ホメオパシーとの出会いと再会

 ホメオパシーに出会ったのは、ず~と昔、1984年。フランス料理留学中、パリに暮らしていた頃です。

 フランスの薬局では、ちょっと風邪をひいても、気軽に風邪薬や解熱剤を買うことができません。風邪薬を購入するためには、ドクターに受診し、処方箋を書いてもらう必要があります。風邪薬の代わりにということで、薬剤師がホメオパシーのレメディーを紹介してくれたのが、ホメオパシーとの出会いでした。

 しかし、当時は、サプリメントのようなものを売りつけられているとしか、とらえられませんでした。「フランスでは薬が何も買えない。」とばかりに、日本から遊びに来る友人や家族に、日本の一般市販薬を運んでもらっていました。

 時が流れ、ずいぶんと長い間、ホメオパシーとの出会いは記憶のかなたにありました。自分は健康だと勘違いをしたまま、暮らしていました。不定愁訴があるものの、病名がつくような病気をしなかったからです。

 でも、毎年、フランスへフランス料理の研修旅行をするたびに、現地でインフルエンザにさいなまれました。日本から持ち込んだ風邪薬では用を足さず、ドクターから処方してもらった強い薬もさほど作用せず、いつもベッドで横になってうなされること1週間。パリの空の下、せっかくのバカンスが台無しです。

 インフルエンザから少々たちなおったところで、いつもタイムオーバー。帰国しなければなりません。そして、帰国すると、いつもいつも、愛猫が体調をこわして待っていました。バカンス後の動物病院通いも恒例行事のようになってしまい、その都度、愛猫の病気は、薬で抑制されていきました。

 またまた時が流れ、慢性疲労症候群のような症状が出るようになってきました。疲れやすい、持続力がない、やる気が出ない、憂鬱な気分といった症状です。周囲やドクターには、「年齢のせいだ。」、あるいは、「なまけ病だ。」などと言われ、半分は納得しつつ、あきらめていたのです。

 愛猫の方は、いろいろな症状が出て、さまざまな病名が付き、より深刻な状態になっていきました。投薬治療や外科手術で完治したかと思えても、翌年には、もっと深刻な症状が出て、他の病名が付いていました。

愛猫 1988年秋〜2001年春

 1999年夏、高度獣医療の著名な獣医師によって、愛猫は自己免疫疾患であると診断されました。生涯ステロイド投薬治療をしなければならないということになってしまったのです。愛猫の免疫は暴走していました。

 同じ夏、自分の体も最悪の状態になっていました。とにかく些細なことをしては疲れ、人並みに仕事をした後はベッドに倒れこんでいました。

 体と頭が疲れ果てていましたが、愛猫をステロイド漬けにしたくないという思いにかられ、あらゆる自然療法をあたってみました。サプリメント療法、アロマテラピー、クレイ療法、ハーブ療法、漢方、フラワーエッセンスなどなど。

 そして、やっとやっと、最後にたどり着いたのが、記憶のかなたのホメオパシーでした。

 ホメオパシージャパンのホームページを開いた瞬間が、ホメオパシーとの再会の時でした。忘れ去られていたホメオパシーとの出会いの記憶が戻ってきたのです。そして、「しまった!」という思いはぬぐいされませんでした。

 「ホメオパシーはいいわよ。病気が再発しにくくなるから」と、フランスの薬局の薬剤師が言っていたのを思い出しました。「症状は抑えてはいけない」と、ず~と昔からホメオパシーが語ってくれていたのです。

 さらに時が流れ、2004年初夏。脱化学薬品生活(?)もかたにつき、ホメオパシーによって心身共に健康を取り戻し、いつのまにか、そしてついに、ホメオパスになってしまいました。

 ロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシー(現カレッジ・オブ・ホリスティック・ホメオパシー)での勉強は、覚えることが多く、妙齢(?)の頭にとってはそれなりに大変でしたが、とても興味深く、かなり楽しんでやってきました。1年生、2年生、3年生と徐々に勉強の楽しさのピークに向かって行き、絶好調に達したのが、2004年初夏、英国の試験官によるホメオパス認定試験でした。

 「試験が楽しい」だなんて、これまでの人生の後にも先にもなく、このホメオパス認定試験だけです。短時間の口頭試験でしたが、試験官と多くのことを語り合うことができ、これまで勉強してきたことの確認もできて、これからホメオパスとしてやっていく自信と確信のようなものがみなぎってきた、忘れられない時間でした。

 フランスでホメオパシーに出会い、愛猫に「自然と調和する」ことを教えてもらい、ホメオパシーには「自然治癒力を信じる」ことを教えてもらいました。今、ホメオパシーは、穏やかで迅速に、そして半永久的にアプローチすることを確信しています。

ホメオパスになった理由

 「フランス料理の先生が、なぜ、ホメオパスになろうとしたの?」 ホメオパシーのクライアントさんからはもちろん、フランス料理教室の生徒さんにも、よくきかれる質問です。

 「愛猫の過酷な闘病」と「自分自身の不調への疑問」が、ホメオパシーを本格的に勉強しようとした大きなきっかけです。

 1999年夏、ホメオパシーを利用しはじめた頃は、国内にホメオパスはいるかいないか、よくわからない状況でした。愛猫の難病を解決するためには、自分がホメオパスにならざるを得ない、というような使命感を感じました。

 愛猫を難病にさせたのは、飼い主である私だと感じました。最高の高度獣医療をこの上無い最高の療法だと思い込み、通院や入院を嫌がる愛猫を次から次へと薬漬けにすることを選択したのは、飼い主の私です。飼い主の責任の大きさというものを思い知らされました。

 猫と暮らす者でなければ理解していただけないかもしれませんが、猫と飼い主というのは、母と子のような関係です。医原病を持つ子供の健康を取り戻すために、もはや、母である自分しかあてにならない、という気持ちにかられました。

 しかし、愛猫は、ホメオパシーの勉強を始める前に、突然、旅立ってしまいました。お別れは、ホメオパスになることを愛猫に約束した翌日にやってきたのです。

 世界が真っ白になりました。自暴自棄になり、すべてを放棄し、悲嘆にくれ、絶望の日々を送り始めました。自分の涙と泣き声で目を覚まし、食事をとることさえままならず、眠るか泣くか、廃人のように暮らす毎日が過ぎていきました。

 もう、ホメオパスになる目的は失われ、何もかも嫌になっていました。このままやせ衰えて、自然に餓死することを願いました。

 そんなある日、玄関前で猫の鳴き声がしました。私を呼ぶように、ずっとずっと鳴き続けます。愛猫が戻ってきたのかという錯覚にとらわれ、ふらふらの体で走り、ドアを大きく開いたのです。久しぶりの外の光が目にまぶしく、一瞬、たちくらみました。まだ子猫かと思えるような若猫がちょこんと玄関先に座っていました。

 その若猫は、「はじめまして。今日からここで暮らすわ。だから、おうちに入れてちょうだい。」と言わんばかりに、するりと自然に家の中に入ってきて、階段をかけあがり、かたづけられないでいた愛猫のトイレを慣れたしぐさで砂かけし、愛猫のベッドですやすやと眠り始めたのです。まるで、愛猫が別の猫の体を借りて、舞い戻ってきたかのようでした。
 呆然と若猫の行動をながめていた時間は、どのくらいだったかは覚えていません。でも、若猫は、神様からの贈り物であり、愛猫の魂のメッセンジャーでもあるのだと感じました。

 しかし、大きな失敗をしたばかりの私です。新猫を与えられた喜びと、失敗を繰り返すことへの恐怖が葛藤し、複雑な気持ちの中、新猫との暮らしが、突然、スタートしました。愛猫とお別れして3週間後のことでした。

 新猫は、普通の猫の2倍以上も食べました。まるで、私に食べろと言っているかのようです。しばらく忘れていた「食べる」という基本的なことを思い出し、新猫にさとされ、背中を押され、徐々に人並みの生活を取り戻し始めました。

 お彼岸も過ぎ、ある春めいた日、小さなミュウミュウというかわいらしい声が聞こえ、とても幸せな気分で目が覚めました。なんと、新猫が4匹の子猫を出産していたのです。何度も目をこすりました。夢ではありません。

 「喜びと恐怖との葛藤」などというものは瞬間に消え去り、愛猫との約束が頭の中でよみがえりました。約束は「ホメオパスになる」ことです。子猫達が誕生したその日、ホメオパシーの学校への入学申し込みをしました。愛猫とのお別れの日から、たった2ヶ月後のことでした。

2001年春 母猫と子猫4匹

 人生とは、楽しくもあり、おもしろくもあり、つらくもあり、苦しくもあります。苦楽を繰り返し、立ち直れないほど打ちのめされることもあります。

 試練とは学ぶためにあると言われています。「試練と闘う」のではなく、「試練を乗り越える」ための手助けをするのがホメオパシーではないかと思います。

 そして、人間は人間らしい、猫は猫らしい、その健やかな暮らしを取り戻すことを手伝う類似レメディーを選択することが、ホメオパスの肝心な仕事です。

 故愛猫との約束を守り、ホメオパスになりました。人と猫のために仕事ができることへの喜びを感じると同時に、その与えられた役割への責任をも感じています。

 類似レメディーの選択という試練と責任を乗り越えることができるようなホメオパスに成長するため、さらに学び、一生涯学び続け、際限なくスキルアップしていくことも役目なのだと、強く感じています。

ホメオパスの仕事って?

 ホメオパスのメインの仕事は、相談者の類似のレメディーを選ぶことです。類似のレメディーとは、相談者の全体像に似ているレメディーです。

 ホメオパシーの創始者ハーネマンが書き残したオルガノンという本があります。ホメオパシーを実践するにあたってのルールやメソッドが書かれており、世界中のホメオパスにとっては、なくてはならないバイブルのような存在です。

 そのオルガノンの第1章冒頭には、「治療家の唯一の使命は、病人を治癒に導くことである。」と書かれています。私は、ホメオパスとしての仕事の前に、必ずこれを読み返し、心を洗い、身と心を引き締めています。

 ホメオパスって、相談者の話を1〜2時間ばかり聞き、ホメオパスの頭の中に入っているレメディーのデータから、天才的な直観力で類似のレメディーを選んでいる、と思っている方が多いのではないでしょうか? それは大きな誤解です。

 ホメオパスは、天才でも奇人でもなく、特に直観力が優れているわけでもない普通の凡人です。4,000種以上のレメディーのデータが頭の中に入っているはずもなく、そんな膨大なデータが入ってしまったら、とっくに頭が爆発しています。

 私が、まずクライアントさんにやっていただくことは、ホメオパシー質問表への記入です。それをじっくりと読みくだき、分析検討し、初回相談会で確認したり、質問すべきことを洗い出す下準備をします。

 この相談会前の準備に、レパートリーという本を使います。レパートリーとは、レメディーのプルービング(実証)で出た心身症状を症状別に並べたものです。

 レパートリーの症状項目、例えば、「皮膚、痒い、皮がむけるまでかかざるを得ない」などという項目があり、約140個のレメディーが記されています。約140個のレメディーが、そのような症状を、プルービング中にプルーバー(被験者)が出したということです。そして、そのような症状を出している人に必要なレメディーであるということです。

 ホメオパスは、この症状項目をルーブリックと呼んでいます。

 質問表に記入されているあらゆる心身症状を評価し、ピックアップし、レパートリーで各症状にあてはまるルーブリックを探し出します。ルーブリックを探し出す作業をルーブリック化と言います。

 各ルーブリックとそのレメディーをノートし、並べ、分析検討します。この作業をレパートライズと言います。

 マテリアメディカという本も使います。マテリアメディカは、レメディーのプルービングで出た心身症状をレメディー別に書きつづったものです。例えば、ポースティーラというレメディーをひけば、ポースティーラから出た症状が詳細に書きつらねてあるというわけです。

 前述したように、システマティックに作業をこなし、レパートライズをし終えると、相談者のレメディーは、いくつかにしぼられてきます。そのいくつかのレメディーをマテリアメディカで読み、検証します。どれが、相談者の類似のレメディーであるかを見つける作業です。
 これで、相談者のだいたいの全体像とだいたいの類似のレメディーをつかんでおくという下準備が完了します。下準備には数時間、ケースによっては数日を要します。あくまでも、私個人の場合ですが。

 そして、いよいよ相談会。相談者にさまざまな質問をして、答えていただきます。これをケーステイキングと言います。

 相談者のお姿や表情を拝見したり、声を聞いたり、手振りを見させていただくことで、下準備の内容が却下される場合も多くあります。ご本人の生の姿、生の表情、生の声、生の行動は、多くのデータをホメオパスに供給するものなのです。

 相談者の問題は何なのか? 相談者のバイタルフォースを抑制しているものは何なのか? ケーステイキングしながら、どんどんと明確にしていきます。実際に質疑応答しないとわからないことがほとんどです。

 相談会でも、レパートリーとマテリアメディカは、なくてはならないツールとなります。相談会中も、下準備の時と同じような作業が繰り返されます。

 レパートリー、マテリアメディカ、ケーステイキングの三本柱がそろい、いよいよ、相談者の類似のレメディーが選択されるというわけです。

 選択されたレメディーが、本当に相談者の類似のレメディーであるかを確認する質問をしていきます。そのレメディーが相談者の類似のレメディーであるとようやく確信した時、自信を持って、レメディーを決定します。

 実際は、ホメオパスの仕事は類似のレメディーを選択することだけでは終わりません。選択した類似レメディーを服用し、ホメオパシーを開始した相談者の治癒の経過をサポートし、相談者が治癒するまでフォローアップしていくことも、大変重要な仕事です。

 ホメオパスの仕事は、相談者の問題が解決するまで続きます。

 多くの相談者から、「どのぐらいの期間でよくなるのでしょうか?」と、しばしば質問されます。ホメオパシーは、その人にとって最短の期間で半永久的に治癒させる療法です。最短というのは、その人にとっての最短であって、人それぞれ異なります。

 ある相談者は、3年間続いた慢性的な下痢の問題をたった3ヶ月で解決しました。10年間以上の投薬治療中のうつ病の問題をかかえていた相談者は、約3年かけて、その問題を解決しました。それぞれが、その人の最短の期間だったということです。

 ホメオパスは、相談者を、迅速で穏やかに半永久的に治癒させることを使命とし、仕事をしています。

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